メディアを見ていると気づくことがある。物事への反対(批判)ばかりで賛成の場面はほとんどない。賛成があるのは社会性の軽い日常のどうでも良いことについてがほとんどで、政治分野での賛成はほとんどない。メディアには過ちは指摘し正すべき助言をする使命があるが、批判のための批判に終始することがほとんどである。骨を出された段階で、中身を発表する前から否定的な発言をする。
最近は子供は褒めて育てる風潮だ。気付けば〝叱る〟ことは罪悪扱いになっている。褒めることは良いが、「スゴイ!」「よくやった」「えらい」「かっこいい」などの単語の絶叫で、何がどの様に良かったのかは語られない。叱る時は「アホ!」「ばか」「なにしてる」などの言葉だけでは、相手は納得できない。何故、いけなかったのか理由の説明が必要だ。その時のテーマを理解し改善策を持たないと、当人を導くことは出来ないから難しい。否定することは肯定することより、はるかに難しい。
逆に対象が政治となると、賛成することは反対するより、はるかに難しい。メディアは政府が打ち出した方針に批判はするが賛成はほとんどしない。実態は批判のための批判団体と化していることに尽きる。その根底は無知と勉強不足である。批判する時は反対の言葉だけで議事が進行し易いが、賛成の場合はその理由を証明しないと説明しにくい。その思考停止状態が、タレント任せ番組を作り、興味本位の番組で視聴率を狙う道具と化した。
批判する時は精神が高揚する。その麻酔に染まったメディアは麻薬(批判)が無いと自分を維持できなくなった中毒患者同然だ。
少子化問題--〔15〕豊かさを待つだけでは、多子化はこない
子供の出生率は、欧州型・東アジア型・アフリカ型に分類できる。また出生率は経済状況に大きく左右されると言われるが、果たしてどうなのか。
・アフリカ型(発展途上)
多くの国で出生率が高く、将来は世界の中で一大勢力を持つだろう。途上国では死亡率も高く、本能的に子孫を残すために子沢山になる。同時に本質的に楽天主義だ。それを見越して中国やロシアが積極的に進出している。
・欧州型(成熟)
多くの国が豊かで適度の子供を設けている。経済力が付くと多くの子供を養うことができるが、その割には少子だ。自由主義の発祥の地でもあり、豊かになると自由と自己確立を望み自分の時間を大切にする。豊かになると多くの子供を産むという伝説がここにはない。
・東アジア(急激発展)
中国・日本・韓国(ここでは北朝鮮・モンゴルは論じない)だが、ことごとく少子だ。特徴的なことは充分豊かなことと、国民が享受するインフラは築き上げていることだ。つまり、器は準備しているがそれに入る中身が減少しているということだ。器が大きければ大きい程、支える力が減少して内部崩壊することになる。この地域に共通する思想は儒教だ。現在は忘れ去られているようだが、根底に根付いている。儒教の奥義は解らないが、立派な忠・孝の教えは親族のみ範囲で、他人には利己的な社会性のない教えかもしれない。
貧しいから子供を持てないと言う。見てきた通り、結果的には貧しい方が子沢山だ。戦後の日本は貧しかったが多くの子供を設けたが、豊かになると少子化した。貧しい人が豊かになれば、まず自分の自由と享楽を求め、子供は重荷になる。成熟した豊かな人は、自己の確立を求め、次世代へ継承しようとする。日本は自分の事で精一杯で、社会の将来を考えた豊かさが未だ育っていない。文化が育まれ個人の人格が確立して、初めて生物的本能に基づかない社会を考えた生殖が生まれる。
不確実性を再確認--ナゴルノカラバフ紛争
ナゴルノカラバフはアゼルバイジャン領と国際的には確認されていたが、アルメニア人が多数居住しているため独立を目指し紛争が続いていた。アゼルバイジャン(イスラム教)はトルコが支援し、アルメニア(アルメニア正教)はロシアが支援していた。9月末のアゼルバイジャンの攻撃でアルメニアが敗北し、月末までには12万人の内10万人がアルメニアへ避難した。民族間の争いには付き物であるが、故郷を追われる人々の気持ちを思うと痛ましい。
アルメニアは元ソ連領であったこともあり、ロシアと同盟を結んでいた。過去にも紛争があったがロシアは支援していた。しかし今回は、全く支援しなかった。ウクライナ侵攻に手いっぱいであったことは明白であるが、同盟を結び手なずけていたロシアの無策をアルメニアが怒りを覚えることは当然であろう。早速、アルメニアはICC(国際刑事裁判所)に加盟した。つまり、ICCから逮捕状が出されているプーチンの逮捕に踏み切り、ロシアとの絶縁を示した。その先にはNATO加盟も視野に入るのか。
日本はアメリカと同盟を結んでいる。現状は強固であるがアメリカの国内情勢は混乱している。米中関係は悪化しているが、リーダー次第で政策も変わる度合いが強くなっているアメリカの昨今の状況だ。同盟は大切にすべきだが、一刻も早く自立できる国力を付けることは、乱世では必須の要件だ。
賃金の上昇を政府に求めるオンチーー企業に求めべき
岸田首相が「経済政策の5本柱」を発表した。
①物価高から国民生活を守る
②持続的賃上げ、所得向上と地方の成長
③成長力につながる国内投資の促進
④人口減少を乗り越え、変化を力にする社会改革
⑤国土強靭化など国民の安心・安全
早速、メディアやジャーナリストは何を言っているのか解らないという。余ほど知能指数が低いとしか思えない。これから始めることであり、また方針の発表段階であるのであるから、内容の細事が分かる訳がない。鼻から批判を前提にしているからの発言だ。りっぱな方針だから、これからの詳細説明と実行を期待するのが国民の態度であろう。
国民の生活が苦しいという。物価が上昇したとか、賃金が上がらないなど不満もつのる。すると国民は政府の責任として批判する。それを煽るようにメディアが批判する。政治は最低賃金を決められるが賃金は決められない。政治は同一労働同一賃金を決めたが企業はそれを守らない。政治は最低ラインを決めることはできるし責務だが、それを実施するのは企業だ。
同一賃金の考えは、非正規労働者が増加したことに起因する。社員としての責任を持つ人と、一過性の要素を持つ非正規の人が仕事内容が同じだから同一ということは不合理な面もあるが、差があり過ぎることは問題である。現状、非正規の人が正社員を求めるも叶わない人が多くいることは事実であるが、反面自由が利き責任が回避できることに依存している人も多い。非正規の人をパート・アルバイトと同一視点で考えることは、労働の性格を混同することになる。いずれにしても非正規の人は次のステップのための一段階との目的意識を持って働いて欲しい。それがないなら文句を言う権利はない。
頑張っても報われない人や能力的に劣っている人がいることは事実だ。彼らを支援することは政治の責任であろう。そして自分に相応しい仕事を選ぶことが個人の責任だろう。より良いものを欲するならば、より努力するしかない。政治にそれを期待するところから努力の方向が歪んでくる。ただ、政府にできることの一つに公務員やソーシャルワーカー(保育士・介護士など)の給与を上げて、企業を誘発することは必要だ。
こと賃金になると、この責任は企業にある。それを政治に求める感覚が依頼心の象徴であり、その間違った方法を批判のための批判を化したメディアの悪行がある。労働者は賃上げは連合に丸投げして、連合は何もしない。それも当然で企業個々で業績が違う世の中だから、連合は何もできない。可哀そうだと言われる中小企業も大企業に依存しているから黙って働くしかない。望むのであれば個々の企業で労使が交渉し賃上げを目指すべきだ。人手不足の時代は業績に見合った賃金を提示しないと、企業間競争に負けてしまう。上がるも下がるも業績次第だから、上げるためには経営者・労働者が対処するしかない。それには気付いている筈だから、最初から政治に求めるのではなく、個々の企業に解決を求めることだ。
福島原発処理水の風評被害を煽る偽識者
原発処理水の放出が地元漁民を脅かす風評被害が懸念されている。いまだに危険であると、風評をまき散らしているのは、メディアに登場する識者(?)と言われる輩だけである。
コロナ禍の時を思い起こしてほしい。必要以上に世の中を混乱に陥れたのは誰であったか。連日、医療(コロナ)に知識もない識者(学者・ジャーナリスト・コメンテーター・芸人…)が、勉強もせず根拠のない発言を繰り返した。メディアは視聴率が稼げる恩恵に浴して、ますます根拠や展望などの知識もなく、ひたすら報道した。話を面白可笑しくするには政府批判は最高の手法だ。その点は野党も同様で、批判のための批判に始終した。そこには国(国民)を思う配慮も正義も関係なかった。
マイナ制度についても同様だ。デジタル化によって統合管理ができ、事務処理の効率が高まり生産性が上げるわけで、少子高齢化で人手不足の将来には欠かせない制度だ。自治体が活用し国民が利用すれば効果が上がる。これも短視眼的なメディアと識者が結託して、経済の解らないままパンの糧として反対をただただ煽っている。
中国が誰が見ても支離滅裂の放出反対を固辞し日本産海産物の輸入禁止しているが、国民はそれに怒っている。国と国が争うには理不尽なことも在り得る悲しい現実だ。しかし、立憲民主党や共産党やメディアや識者がやっていることは、風評被害を煽って政府批判を目的にしている。風評が収まっては自分の立ち位置が失われるしかない。
識者と言われる人に目立つのは勉強不足と、日本愛の無さだ。処理水についてどの様に検討がされたか、放出処理水の科学的根拠などについて小学生レベルの知識しか持たず、番組出演の役目を果たすために批判や嘘を平気で垂れ流す。これでは芸人と差異はない。同じ嘘を言うのであれば国を守るための嘘を言ったらどうか。
魚介類の数年の短い一生で、今回の処理水で人体に影響を及ぼすほどの放射線が魚介類に蓄積されると思っている人は、もう一度小学生からやり直した方がいい。放出処理水より遥に高濃度の自然放射線でも魚介類は繁栄してきたし、人類も繫栄してきている。
少子化問題--〔14〕子供文化の崩壊と創造性の欠落
成長は、不測の事態を経験し、それに対処する能力を身に着けることで達成される。分かり切ったことや経験済みの体験だけでは、成長どころか退歩する。引きこもりや不登校などで、外圧のない世界に閉じこもることは、成長にとっては最悪である。
大人社会の環境で育てると、大人の都合が優先されて、子供は従順に飼い習わされる。自分の事しか考えられなくなった大人は子供から自立したいがために、命令し放置する。ゲームやスマホという便利な道具が出来たことは、子供の為でなく大人のためには絶大な道具となった。小さな子がネット環境を驚く能力で渡り歩くことを、自分の能力不足が、秀でた能力を持っているかの錯覚を与える。ネットを駆使する能力は、間違いなく必要な能力であることは疑わないが、それが受動的で創造力を涵養しないことを放置することに、その場しのぎの大人には無関心だ。
何処の国にも〝鬼ごっこ〟・〝はないちもんめ〟・〝チャンバラごっこ〟のような素朴な子供の遊びがある。そこには敵対する物への対処法や正反対の仲間を作る方法がある。そして何よりも大切な自分では予期していない事態が発生することがあり、それに対応すべき能力を考えさせる場がある。
スポーツには団体競技や一対一で競う競技や記録を競う競技がある。いずれにしても自分だけの都合では成り立たなく瞬時の対応をもとめられる。多くの仲間や遊び仲間があれば、競い合い向上を生む。
ビジネスの世界は変革が激しい。一生の内に何回転職・職種変更を求められるかは分からない。終身雇用で過ごせた大人は、これから子供が置かれている社会環境が激変することを考えなくては、人生を全うしたことにならない。勉学も必要だが変わりゆく社会を渡り歩くために必要な適応力を身に着けさせなくてはならない。これまた子ども同士の遊びを通じて、ケースバイケースに応じて対処する能力を付けなくてはならない。
小さいころから自分の城に閉じこもり、ひたすら勉学に励み社会に出る。身の回りに遊び相手がいないがために、怒りや矛盾や喜びを味わうことなく成長し社会に出る。そのような環境が国際社会基準を上回る人材になれる確率は低い。創造力は未知との遭遇がない限り創出できない。
大国・中国はかつてない程、小国・日本に拘っている
福島原発の処理水放出から1か月経過した。相変わらず中国は反対をし、仲間づくりを国際会議などで行っているが、思うようにならない。それも当然で、小国であっても世界はいつまでもバカでは生きていけない。それが解らなくなった中国は、危険な国と化した。
国内では和服を着用の人を注意・警告・連行などを初め、中国にふさわしくない服装の規制を始めた。注意していると伝統の漢服(チャイナドレスのような服)であったことなど笑えない。一体伝統の服装とはどんなものなのか。古代のドラマを見ると男もチャイナドレスの様な服を着ているし、征服された清の時代もそんな気がする。ならば、それを着ればいいのに…。もしかしたら伝統とは似ても似つかない中国共産党推薦の人民服かもしれない。背広やスカートやパンツやカジュアルなどもっての他であろう。これも小国・日本が従順でないことへの腹いせであろう。挙げた拳の下ろしどころが無くなったものほど危険なものはない。
もはや小国への坂道を下り始めた中国は、荷車に爆弾を積んだ危険物に化した。それに巻き込まれてはならないし、場合によっては近づくまでに爆破しないと巻き込まれてしまう。科学的根拠のない行動を執ったり、気に入らないもには支離滅裂でも反論する精神状態は危険の兆候だ。
日中韓の首脳会談が4年余りぶりに行われるように事務レベルで調整が行われている。小国・日本は大国・中国に、如何にすれば頭を冷やしてもらえるかを大国・日本として示唆したいものだ。会談の成立を期待する。
少子化問題--〔13〕政府依存症の進行
コロナの禍は病気そのもの以外に、物乞いの心を植え付けた。弱者救済や消費拡大などを目的に補助金などが個人にも企業にもバラまかれた。救済の一助となったことも間違いないが、要らぬ干渉はして欲しくないと小さな政府を求める国民が、真逆の助けてくれと大きな政府を求めた。ロシアのウクライナ侵攻を機に世界各地でエネルギー危機や食糧危機が拡大し物価が高騰した。日本の物価は世界と比較して、さして高騰していないにも関わらずガソリン補助などのバラマキがされている。日用品も似たような状況で、さも困窮がすさまじいかの様に報道される。
「困ったときには政府が助けてくれる」。これは大切な政府の役割である。しかし、いつしか国民もメディアも、助け船を前提に意見・行動するようになり、自分で泳ぎ切ろうとするエネルギーを失っていくどころか、考えも失っていく。それでも生活できているのはここまでに築き上げた過去があるからだ。
もしかしたら、バブルが崩壊した以降、本当に弾き飛ばされたほうが良かったのかもしれない。高度成長で積み立てられた資産を、ただ無意味に食いつぶす生活が、不満足ながらも出来たお陰で今日の社会をつくってしまった。「困ったときは政府が助けてくれる」。その虚弱な体質が今の自分の事しか考えられなくした。当然、家族や子孫の意味を考える余裕も失った。
個人が最終的に依存できるのは家族以外にない。
少子化問題--〔12〕労働力の外国人依存
日本に住む外国人は288万人(人口の2%)で、アジア出身者が84%で、最も多いのは中国人。労働者の数は146万人で、そのうち日本のための労働戦力は約40%(「技能実習」21%・「専門・技術」19%)で、残りは留学生などのアルバイトや日系人などだ。そのうち戦力としての直接的労働力としては、外国人技能実習制度のもと32万人が建設や食品製造関係などに、特定技能制度(熟練技術)のもとに15万人が従事している。
技能実習としての労働力は本来、外国人労働者の技能習得を謳ったものであり一時的労働力だ。低賃金からの労働者が主体になるが、彼らの国の賃金上昇と日本の賃金停滞でこれから先の運用は微妙だ。実習と称して労働基準法違反の仕事をさせたり、約束と違う仕事をさせたりもしている。ブローカーの暗躍や逃亡などで運用に暗い影も落としている。
特定技能としての戦力拡大は求められるが、最大のネックは賃金だ。熟練技術を満足させるだけの賃金を保証できない(それほど日本の技術者は低賃金だ)。
問題は仕事意外なところにも発生している。地域コミュニティに従わなかったり混乱させたりする。価値観が違うからと容認ばかりはできない事態が発生する。村社会を構成して、地域に溶け込まない。すでに多くの市町村で外国人の問題が発生している。日頃起きている犯罪に占める外国人の割合は確実に増加している。外国人労働者に依存することは、相当な覚悟が必要だ。世界の難民問題で起きていることが我々の身近な出来事になることは明白だ。
日本からの移民がハワイ・ブラジル・ペルーなどで苦汁をなめながらも社会に溶け込んで活躍している。日本人としての閉鎖社会も造っているが、子孫は思った以上に迫害されていない。それはそれらの国が子供を多く設け続けているから、思った以上に日系人が気にならないからだ。しかし、少子化の日本人は、たとえ労働力になってくれても不満は爆発するだろうし受け入れないであろう。島国日本は、たとえグローバル社会であっても、自前で労働力を創出することが一番である。
晩節は本来の自分で過ごしたい
昔と比べればテレビの音楽番組は減少した。その中で長寿番組と言えば『ミュージックフェア』だろう。司会はタモリだ。この番組も今世間を騒がせているジャニーズのためのジャニーズ事務所の番組にいつしか変貌した。番組自体は内容を吟味して、より視聴者のためのものにすればよい。
タモリは若い時期を苦労し独自の存在価値を築いた人であろう。独特の軽妙な雰囲気はその表れであろう。紀行番組の『ぶらタモリ』は彼の趣味を生かした味のある番組だ。そこにはお笑い芸人を卒業した苦労人の晩節が垣間見えてくる。
しかし音楽番組の司会をしている彼の姿に痛々しさを感じる。決して好きな曲でもないのに、さも名演であるかのようなコメントに付き合う。ジャニーズ問題が露見したから言うのではない。彼には似合わないのだ。人の演じる姿を誉めそやす役を演じることは。